旅人diary

旅で起きたこと感じたこと

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。11.Football Communication

 たくさん歩いて疲れたのでマレコン通りの近くの芝生で休んでいた。

 

あちこちで中高生くらいの男子がサッカーをしている。

 

 ボールが転がってきたので蹴り返したら、流れでずっとパス交換。キューバ人とサッカーをした。そこでもチーノと呼ばれ最初は少し馬鹿にしてるように見えたが、徐々に慣れてきたのだろう。普通にパス交換してくれた。

 12、3歳くらいの少年とずっとボールを蹴っていた。サッカーするのに言葉はいらない。喋ってなくても相手の意思がある程度伝わった。f:id:buckyjr:20190305120331j:image

 

 そうか、言葉はコミュニケーションのツールなだけなのか。このときの僕の心はまったくストレスがなく心地よかった。

 

 実は初対面の人と1番コミュニケーションが取れるのはスポーツなのではないのだろうか。

 

 キューバは野球が強いイメージがあるが、ここハバナではサッカーをしてる子やローラースケートや、スケートボードをしている子がたくさんいる。携帯を使わない分みな、一生懸命遊んだり、練習していた。

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初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。⑩ノーチーノ、ソイデハポン

 現地ツアーが終わり、ひたすら街を歩く。f:id:buckyjr:20190303182506j:image

 

 歩いているとゲバラ肖像画キューバの国旗をよく見かける。愛国心のようなものを感じた。日本に日本の国旗を見る機会があったかな?f:id:buckyjr:20190303182117j:image

 

 キューバ人に東洋人はチーノ(中国人)と声をかけられる。これはたぶん同じ社会主義からなのか、またキューバにもチャイナタウンがあるからなのか中国人の方が馴染みがあるのだろう。

 その度に違うJapón ハポンだと伝える。

  イチローや大谷はキューバでも有名だった。

 

 ここには東洋人はほとんどいない。はじめて自分が日本人だということを強く感じた。そうだ、ハポン、僕は日本人だ。
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初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。⑨ハバナの森

 革命広場を出た後、僕たちはハバナの森へ行った。

 

 キューバの先住民はスペイン人に滅ぼされてしまった。

 

 今はスペイン系の白人、西アフリカからやってきた黒人、それらの混血。さまざまな人達がいる。差別はないように感じた。

 

 ここハバナの森ではアフリカが起源の宗教サンテリアの儀式が行われるそう。サンテリアは占いを使うそうなのだが、サンテリアではないキューバ人もよく占いをするそうだ。

 

 僕は占いは今までまったく信じてなかったし、全部自分次第と少し前まで思っていたのだが、ある出来事を機にこの世に運気のようなものは絶対あると感じるようになった。

 

 それは2018年の2月のことで、僕は友達と横浜にある田谷の洞窟に行った。

 鎌倉時代から真言密教の修行場として利用されてきたらしい洞窟なのだが、ろうそくをひとり一本持って洞内をまわるということになっている。

 もちろん洞内は暗く、仏像がたくさん並んでいた。

 

 絶対笑うところではないのだが、あの日の僕らはゲラだった。入り口前の“おろうそく”という文字だけで僕らは笑っていた。今思うと全然面白くない。

 

 洞内に人が誰もいなかったのでそこでも漢字の読み間違えという低レベルなことで笑っていた。

 

 その次の日僕は高熱を出した。絶対バチが当たったと思った。そこから半年間何かに取り憑かれたように体調を崩すことが多くなった。

 

 その次の半年間はまったくもって体調を崩していない。

 

 この出来事があって僕は運気や占いなどのスピリチュアルな見えないものを気にするようになった。

 

 占いにどんな力があるかわからないが占いは心をすっと軽くしてくれると僕は思う。特に占い師が神様だったら。サンテリアのことは詳しくわからないがとても興味深かった。

 

 宗教について考える旅もいつかしたい。f:id:buckyjr:20190302102616j:image

 

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。⑧革命広場

 タクシーで革命広場へと向かう。革命広場は国家の中心であり、そこには共産党本部、内務省、情報通信省、郵政省などが存在する。

 

 お祭りや集会などには大勢の人たちがここに集まるそうだ。f:id:buckyjr:20190227105145j:image

 

 ホセマルティ の巨大な像と内務省の壁にあるゲバラの肖像。ゲバラとともにキューバ革命で戦ったカミーロ・シエンフエゴスという人物の肖像が情報通信省にはあった。

 

 ゲバラの肖像の右下にはHasta la victoria siempre. 常に勝利に向かって。と書かれている。

 ゲバラキューバ人ではない。アルゼンチン人だ。でも彼は1つ1つの国を見るのではなく、ラテンアメリカ全体を見ていた。ラテンアメリカや世界のために生きていた。

 自分が自分のためだけに生きていないか考え直した。

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 キューバにはゲバラの絵画や壁画などが街中に溢れていて、それを見るたびに僕は心が熱くなった。

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。⑦英雄ホセ・マルティ

 9時になり、下に降りると日本人ガイドの50歳くらいの女性が待っていた。近藤さんという日本人だ。日本人でホッとした。タクシーで周遊ツアー的なものを申し込んでいたので歩いてタクシー乗り場に向かう。

 

 乗り場の近くにセントラルパークと呼ばれる大きな広場があってそこにはホセ・マルティの像があった。

 

 キューバといったらチェゲバラくらいしか知らない。

 

 キューバはもともとコロンブスによって発見され、その後400年もの間スペインの支配下に置かれた。

 コロンブスは世界的には新大陸を発見した英雄なのかもしれないが、当時の原住民からしたらSF映画の侵略者のような恐ろしいものだったと僕は思う。

 

 ホセマルティ は平等な世界を求めて1892年にキューバ革命党を結成し、第二次独立戦争を開戦した。

 

 彼の思想は後にキューバ革命を起こしたゲバラカストロに強く影響を及ぼしている。

 

 彼はキューバの絶対的英雄なのだ。

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 このようなお話を聞いた後、タクシーに乗り込んだ。ピンクの派手なアメリカの車だ。

 

 タイムマシンで昔の世界にやってきたみたいと表現するのがぴったりか、いや僕にはこの車も建物も人も匂いも全く知らない。僕の頭の中にはない世界がそこにはあった。

 

 知らない世界でのドライブは心がざわざわした。f:id:buckyjr:20190225203750j:image

初めて海外でキューバにひとりで行ってきた。⑥おはようキューバ

 

 朝4時ににわとりの雄たけびで起きた。にわとりで起きたのはいつぶりだろう。もしかしたらはじめましてかも知れない。

 

 昨日暗くてよくわからなかった外を見るとそこは全く見たことのない別世界だった。コロニアル様式の古い建物。やっぱり排気ガスの匂いが強くそれと別にはじめて嗅ぐ異様な匂いが混じっている。

 

 今日は9時から現地の日本人ガイドさん付きの個人ツアーを申し込んでいた。せっかくなのでキューバについて詳しい人に話を聞きたかった。

 

 朝6時になるとぞろぞろとキューバ人が学校や仕事に向かう。昨日夜遅くまで大音量で音楽が鳴っていたりするのに、キューバ人は朝が早い。

 

 9時まで時間があったので少し散歩した。日本人などどこにもいない。東洋人すらいない。自分が異質なものであるという疎外感と特別感が入り混じる。差別ではなく僕らは本能的に異質なものを捉える。彼らも僕に本能的に目を向ける。

 

 外には看板や広告が見当たらない。店はどこにあるのだろう。食事をどうしようか不安になった。迷子になったらジ・エンドなのですぐにカサに戻った。

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初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。⑤こんばんはキューバ

 

 ハバナのホセマルティ国際空港に着いた。

 キューバの7日間の最初の三日間はハバナに滞在しようと考えており、ハバナ到着が夜の10時だったので宿泊先はAirbnbで事前に予約していた。夜で不安だったのでホストのカルロスさんにタクシーの手配をお願いしていた。

 

 キューバにはホテルの他にカサパティクラルと呼ばれる旅行者用の民泊できる家がたくさんある。ほとんどのカサが予約ができない。カルロスさんの家もカサだった。

 

 空港の出口を出るとMasahiroの名前が書かれた紙を持っている黒人系キューバ人の若い運転手が待っていた。

 

Hola Soy Masahiro. こんにちは、マサヒロです。

Soy de Japon. 日本から来ました。

Encantado. よろしく。

 

おおスペイン語話せるのか?(スペイン語で)

 

No espanol. いいえ

 

ここからは地獄の沈黙だった。

 

両替を済ませタクシーへと向かう。

 

 外は暗く、暑くはないが空気がペタペタする。排気ガスの匂いが生温かい風に乗ってした。以前行ったことのある宮古島に空気の質感が少し似ていた。

 

タクシーまでレンジ色の渋くてかっこいいアメ車だ。

 

 キューバは1961年から2015年までアメリカと国交を断絶していたため、今でも古いアメリカ製の車が走っているのだ。

 

 宿泊先までは30分くらいあった。街灯はあまりなく少し暗い。時折キューバ人が車道を動物のようにゆったりと横断する。旧車のせいか排気ガスの匂いが強く、車の振動がガタガタと体全身に伝わった。その匂いと振動からキューバが大国アメリカとたたかってきた強いメッセージを感じた。

 

こんばんはキューバ

 

 宿泊先のカサに到着した。白髪の白人系キューバ人のカルロスさんが迎えてくれた。カルロスさんはある程度の英語が使えた。というのも最初の3日間は英語が使えるカルロスさんの家を選んだのだった。

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カルロスさんのカサ


カルロスさんは三日間とても優しくしてくれた。

 

 カルロスさんの家はアパートのようになっていてそこにはキューバ人の人も部屋を借りていて、隣のおじさんには何度もドアの鍵のかけ方開け方を教えてもらった。

キューバの鍵はどこにいっても難しかった。

 

 疲れていたのでシャワーを浴びて寝た。明日は個人で午前中だけ申し込んでいたツアーに行く。