旅人diary

旅で起きたこと感じたこと

【記録】パラダイムシフト

 僕は俗に言うメンヘラという分類群なのはきっと自他ともに認めるだろう。他人から見たら痛いやつで、そんな風に自分が痛い目で見られることは恐怖だ。

 人に優しくしても、ひどいことは平気でされて、嫌なことを躊躇なく言われる。

 同じ人間であることを恥じたり、悲しみや怒りという感情を抱く生物として生きてるのが嫌になったりする。

 今まで自分がこの人生というものの主人公であり、死んだら僕の人生は終わりで、自分が楽しい人生こそが最高の人生で、自分が悲しい人生は最低な人生だと思ってた。

 でも気付いたことがある。みんな自分が人生の主人公だと思ってる。僕の人生の主人公は僕で、別な私の人生の主人公は私だ。みんなが幸せになりたくて、楽しい感情になりたくて、大切にされたくて、愛されたいと思っている。

 悲しみの感情が生まれるのは自分主観で生きてるからだ。相手の気持ちに寄り添って、相手の人生を生きることすれば、負の感情からは離れられる。主人公はあなたで僕はあなたの人生にお邪魔している、あなたの気持ちに寄り添って、あなたの幸せに私も向かう。あなたは今何を求めていて、何が欲しくて、どんな気持ちなの?

 そういう風に生きれたら、いつか僕も大切にされる気がして、そんなことに期待する時点で

結局大切にされたい自分がいて、自分のエゴに絶望する。

 

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた19.息を吸うように踊る

外はすっかり暗くなり、中心の広場ではサルサやマンボなど様々なダンスが披露され、観ている観客さえも、サルサに参加していた。ラテン系の人々は皆踊れる。歩くように踊り、息を吸うように踊る。

僕は完全に彼らの踊りに魅了されていた。

彼らのサルサやマンボなどの踊りには、その美しさ、色っぽさにうっとりした。自分の体の動きやその美しさを理解しているように思えた。

 

感動よりも敗北感の方が強かった。

 

あまりにみんなダンスが上手いので、誰がパフォーマーで誰が観光客なのかわからない。

多くの日本人や自分に全くない魅力で羨ましかった。

 

誰かが言った。

幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。

 

これはたぶん哲学的考えなのだろうけど僕には難易度高い。作り笑いは下手だ。

 

この人たちは楽しいから歌ってるのだろうか。楽しいから踊ってるのだろうか。いやなんだか逆な気もする。普段から音楽や踊りと共にすることでより楽しくなるのではないかと感じた。やはり人間にもたらす音楽の力は大きい。

 

ここトリニダードでの夜は僕にとって一生忘れられない夜のひとつになった。

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初めての海外でキューバにひとりで行ってきた18.トリニダード

トリニダード世界遺産に登録されてる街でとにかくカラフルで綺麗だった。

 

トリニダードではハバナで泊まったカルロスさんの紹介してもらったネバダさんのカサに泊まった。

 

着いたら住所に書いたメモを頼りにカサに向かった。ネバダさんは黒人系のキューバ人で旦那さんとお母さんと3人で暮らしてるみたいだった。観光都市ということもあってか、ここのカサはとてもよくて、何よりネバダさんご夫妻がとても優しかった。

 

トリニダードに着いてからは夜まではひたすら綺麗な街を散歩して写真ばかり撮っていた。少し歩くだけで色が変わる美しい街だ。

 

夜になると、ネバダさんにおすすめのレストランを教えてもらったので、そこで夕食を食べた。ポークステーキとラカンチャンチャラという蜂蜜の入ったお酒を飲んだ。蜂蜜の独特な香りの強いお酒だった。僕はあまり好きではなかった。

 

夕食後、広場ではステージで人々がサルサを踊り狂っていた。

僕はこの後、トリニダードで一生忘れることのできない夜を過ごすのだった。f:id:buckyjr:20201118220007j:imagef:id:buckyjr:20201118220015j:imagef:id:buckyjr:20201118220024j:image

 

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。17. ビアスールバスでトリニダードへ

 

 割高のタクシーに乗ってビアスールバス乗り場へ向かった。乗り場へ着くと乗合タクシーのキャッチがたくさんいた。バスに乗れなかった人は乗合タクシー(コレクティボタクシー)で行く人が多い。

 

 予約は一切していなかったが、なんとかバスに乗ることができた。席は満席で誰かの隣に座るしかない。そのとき僕はこのキューバの地で、ガイドの近藤さん以外ではじめて東洋人を見つけた。

 

 僕はその東洋人の隣の席に吸いよせられ、okay? と声をかけ座った。彼は歳は30歳くらいで、本を読んでいた。

 

 僕は日本人かどうか本当に知りたかったので、彼の本を凝視した。頼む日本語であってくれ。願うように見た。

 

 日本語だ!

 

 日本語だと分かったときの僕はまさに水を得た魚だった。日本じゃめったに自分から声なんてかけないのに、何の躊躇もなく、声をかけた。

 

 日本人ですか?これが第一声だったと思う。それから数時間このキューバの地のトリニダード行きのバス内には、二人の日本人の会話だけが響きわたっていた。

 

 僕は嬉しくてたくさん話した。彼の名はオオタニさん。某有名家具屋さんで働いていて、毎年2回、長期休みに海外に一人で行くそうだ。

1つの国に2回訪れることはあまりないらしいのだが、キューバ2回目だった。

そんな海外に慣れているオオタニさんですら、最初にキューバを選ぶのは大変だと言っていた。

 僕はだんだんここに来た自分を感心しはじめた。僕が僕ではないような謎の感情だ。ただただ生きていることをすごく感じた。きっと全く異なる環境に立ったとき、何も変わってないところを強く感じるのだと思う。

 彼は葉巻、ヘミングウェイビートルズが好きだった。

 

 途中休憩地点でオオタニさんはキューバサンドをおごってくれた。

 

 2、3時間でトリニダードに着いたと思う。しゃべり倒した僕はあっという間に感じた。

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。16.ダニエルとの出会い

キューバ4日目僕は世界遺産に登録されている街トリニダードに向かおうとしていた。

 

宿はお世話になったカルロスさんに予約してもらった。とにかくトリニダードまではビアスールバスという高速バスで向かおう。予約はしていない。

とにかくタクシーに乗ってバス乗り場に行こう。

 

カルロスさんに礼を言って家を出た。歩いていると上から声がする。

 

「コンニチハー」

 

上を見上げると白人系キューバ人の男性とそのお母さんとみられる女性がバルコニーに立っていた。隣には日本の国旗があった。もしかして日本人向けのカサなのだろうか。

 

「マッテマッテ」

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男性に声をかけられた。待っていると彼が降りてきた。

 

彼は日本語学校で日本語を勉強しているらしい。日本に友達がいるらしく伝言を伝えてほしいと言われた。友達は体調が悪いらしく、彼は僕に友達の住所をメモに書き渡した。彼の眼は真剣だった。

 

家にあがってくれと言われ、言われるがままに彼の家にあがった。

 

彼の名はダニエル。27歳。清掃員の仕事をしているらしく、母親と二人で住んでいる。日本語学校に通っている。彼の言葉はほぼスペイン語で英語はわずか。日本語は文法はめちゃくちゃで単語を並べてる。辞書を常に持ち歩いている。彼の言っていた友達は日本人で60歳くらいで名をアスチと言った。きっと以前この家に泊まったのだろう。ダニエルの家もカサだと言っていた。

 

僕はトリニダードへ行った後にハバナに戻る予定だった。泊まる宿も決まってなかったのでダニエルの家に泊まることにした。

 

ダニエルに伝えると彼はここに戻ってくる保障としてここに何か物を置いていけと言う。彼の眼は真剣だ。少し怖かったし置いてく物もない。断ったら今度は折り紙をくれと言う。運よく折り紙を持っていたのであげた。彼の家をよく見ると日本のアニメの張り紙や折り紙が飾られていた。

 

ダニエルは僕に麦と牛乳のシェイクをごちそうしてくれた。

 

彼はバス乗り場までのタクシーを探してくれたが、高かった。高くて乗れないと伝えたらダニエルが交渉してくれたが、いざ乗って払ったら高い金額のままだった。だから高いって言ったのに!ダニエルを少し恨んだ。

 

このときダニエルがこの旅を左右する重要な人物だとは思わなかった。

 

 

初めての海外でキューバにひとりで行ってきた。15 ひょうきんクバーノ

日本食堂を出た後とにかくたくさん歩いた。いろんなキューバ人に声をかけられた。

 

観光客が多いところほど声をかけてくる。彼らはみんな人懐っこかった。

 

いろいろ歩いて疲れたので大きな通りで休むことにした。

 

若い子たちはスケートボードやローラースケートに夢中だ。今どきのストリートファッションを身にまといお洒落だった。

 

そんなこんなで休んでいると半袖短パンの歳は20から30代くらいのアフリカ系キューバ人男性がとなりに座ってきた。

 

たくさん話しかけてくる。独特な声色で聞き取れない。それ以前にスペイン語だった。

 

僕らは、ボディランゲージ、言語、オフラインのグーグル翻訳、知能すべてを駆使して1時間以上話した。

 

日本にいつ来たのか。どこに泊まっているのか。いつ帰るのか。女は好きか。この後飲まないか。そんなところだったと思う。

 

昨日のトラウマがあったので誘いには乗らなかった。

 

彼は通りすがりのキューバ人女性をナンパして手をつないで僕にウインクをして去っていった。

 

コミュニケーションはずっと言葉でするものだと思っていた僕の概念は壊れつつある。一番大事なのは相手を理解したいと思う心だった。僕はこんな通りすがりのひょうきんなキューバ人からこんなことを気づかされるとは思わなかった。

 

彼とは最終日に偶然再会して握手をした。遠いキューバに来たが、ハバナは狭かった。

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予備校時代の忘れられない授業

こんにちは。キューバ旅日記が完結していないにもかかわらず好きなことを書きます。

 

僕は浪人していたのですがそのなかでも未だに鮮明に覚えてる授業があります。といっても教科書の内容ではなく先生のエピソードトークなのですが。

 

その授業は現代文の授業でした。どのような経路かは忘れました先生は少年時代のある授業の話をし始めました。

 

それはある日の算数の授業、

 

三角形の三角の合計の和はいくつになる?

 

優秀だった少年の先生は答えます。「はい!180度です!」

 

じゃあ、五角形の五角の和が何になるか分かるか?

 

「わかりません!」

 

いいか、五角形があるだろ、野球のベースを思い出せ、この五角形に線を二本引くと三角形はいくつできる?

 

「三つです!」

 

そうだ三角形の三角の和は180度だから、それが三つ。五角形の五角の和はいくつだ?

 

「540度です!」

 

大人になった先生は僕らにこう言いました。「あのとき先生は三角形の問題でデカルトの話をしてくれたんだ。

 

複雑な問題は単純な問題な組み合わせであることを先生は教えてくれてたんだ。」

 

「だからいいか、難しい問題にぶつかったら、まずは分けて考えなさい。簡単な問題の組み合わせなんだから。」

 

僕はこの授業を忘れることができないし、この1回の授業が浪人したことが無駄だったとは思わせないでいてくれている。